「居場所なんてものは存在しないし、必要もないのさ。
特に、おれたちのような半端者にはね」
小さな虫たちが、萌え出たばかりの草を食むやわらかい音が聞こえる。
空は青く高く、刷毛でたたいたような薄い雲がまばらに広がっていた。
緑の丘に寝転がった彼の言葉を聴くにあたって、それらはちょうど心地よく視覚を刺激してくれた。
「好きでこうなったわけじゃないっていうのは、わかるよ。
でも、子供は親を選べない。生まれてくる国も、容姿も、性別も、環境も、全部だ。
可能性はみんな同じなんだ。無限なんだよ。
年をとるに連れてそれは少しずつ減っていくが、おれたちは幸運にも、そのひとつだって取り逃すことがなかった。
それだけなんだけど、どうしてだか、他人はそれを不幸だと言うんだよな」
ちらりと横目に彼を見れば、いつのまにやら口に葉っぱを咥えている。
彼が喋る度に、乾いた唇に張り付いた葉っぱが揺れる。
「可能性のすべてを成就させることができない、というのがその哀れみの理由かもしれない。
安寧とスリルを二つとも極めることは難しいだろう。少なくとも、おれにはできないな。
どっちにも少しずつ手をつけて、あとは捨て置くしかないんだ。
それが...」
彼は言葉を切った。
不思議な色をした両の瞳が虚空を見つめ、薄く開いた唇から草の葉が落ちた。
鳥が日の光を遮り渡ってゆく。
雲がその後を追い、一瞬世界が暗転し、また再び麗らかな日差しが差し込んできたそのとき、彼は再び口を開いた。
「きみはあの夢を見る?」
彼はその答えを聞かずに続けた。
「大きな樹だ。始まりの樹だ。あれは命だ。
7つの目、10の王国、世界が生まれ変わる3度目の朝だ。
おれはあれが好きなんだ。
あれがおれの、唯一掴み損ねたひとつの可能性だった。
もう戻れないし、失ったものを取り戻すこともできないが、もしその可能性を掴み取っていたらと思うと、おれはいてもたってもいられなくなる。
たまらなく、甘い夢だ」
空は変わらず青く高い。
緑の丘に一陣の風が吹いたが、彼の目はそこにあるなににも向けられてはいなかった。
<緑の丘には大きな秘密を共有する二人がいた>
<彼らは孤独を孤独と思わず、苦痛を苦痛と思わない、人に似た形をした唯一の二人だった>