このせかいで
この世界で生きてゆく上で必要なこと、もの、ひと。その全て。
彼の中で必要とされるもののなかに、俺は含まれているんだろうか。
上司と部下、命を連ねて戦場を駆ける同僚、言葉で繋がる俺たちはどうにも曖昧に思えた。
巷でよく聞く赤い糸なんてものが自分たちの間にあるとは考えにくいし、
仮にあったとしても、それは血に染まって赤くなった蜘蛛の糸だろう。
そんなメルヘンチックな話は聞くに堪えない。怖気が走る。
彼ともっと確実な方法で繋がっていたい いつでも、自分たちだけがそこにいられるように。
鎖でも手錠でも、頑丈ならなんだっていい。
愛だのという無形の感情はいらない。お互いの血肉を食むことでしか生きていけないような。
存在への依存。生きるか死ぬかの境界線で、
手を伸ばすことしか許されない形に落ち着いてしまえと思う。
こんなことを口に出せば、彼はなんともいえない表情で、熱でもあんのか、と聞いてくるに違いない。
そんなこと。
俺はただ純粋に、自分と、そして彼にとってのすべてを手に入れようと必死になっているだけなのに。
「総悟ォ オメェ、目がイッちまってんぜ。」
少し、考え事をしていただけで、これだ。
見られてる、ってことか。つまり、愛されてる?
そんな馬鹿な。気色悪い。そんな土方さんは、赤い糸で首吊って死んじまえばいい。
「イッちまってんのは土方さんのほうですぜィ。
俺ァいたって普通でさァ。アンタ、肺も悪けりゃ目も悪ィんですね。」
「うるせェ、肺は認めるが目には自信あんだよ。
俺が言ってんのはよ、なんか…なんかなァ…」
曖昧な言葉を連ねる。唇に挟み込まれた煙草が所在無げに揺れている。
ああ、キスしたい。
でもそんなことしたら殴られるに決まっているのだ。
嫌じゃないくせに、いつも拒む。そういう形で自分を保っている。
「ああ オメェよォ、頭が狂ってやがんだ。どっか欠けてんだよ。」
紫煙を燻らせながら土方さんが呟く。
こちらを見ず、雑踏を越えたところに鈍く光る、朱い夕日を眩しそうに見つめて。
つられて同じ方向を見つめるけれど、どうしても、彼と同じものを見ているという実感が湧かなかった。
「狂ってなんかいやせん。もしほんとうに、俺が狂ってるように見えんなら、
それァ俺じゃねえ。あんたか、あんたの中のなんかが狂ってんですよ。」
空に煌めく白い鳥が、まるで火達磨になってもがき苦しむ白い腕のように見えた。
「それか それか、もしかすると、狂ってんのはこのせかいで 」
だから だから 赤い糸も白い鳥も信じられずに、言葉も、愛情なんてものも、全てを拒絶して。
俺は多分土方さんの世界に必要がなくって、でも、俺には必要だ。
その矛盾も、全部、世界が狂っているから生じるのだろう。
「このせかいで 俺とアンタは生きてる」
互いに必要としても、世界はそれを認めずに それでも生きていくしかない。
「赤い糸なんかなくても、火達磨にもなるし、
それで、やっぱり、狂ってんのは俺じゃねえんでさァ。」
急に悲しくなって、涙がこぼれそうになった。
上手く言葉を組み立てられなくて、でも言いたいことは言った気がする。
この世界で生きてゆく上で必要なこと、もの、ひと。その全て。
俺の全て。
いつかこの気持ちもどんどん育っていって、空を飛び越えて、夕日に触って、そして火達磨になるのだ。
あの鳥は、俺より先に夕日に触った誰かの腕だったのか。
きりもみして落ちるように空を滑ってゆく鳥を目で追っていると、
やっぱりオメェは狂ってんだよ、
と苦しそうな言葉を残して、その気持ちが凝ったような苦い煙を置いてけぼりに、
見つめた背中は遠ざかっていった。