彼は雨の日も風の日もいつだって絵を描いていた。
真っ白くて大きなキャンパスに、好きなだけ描いていた。
時折人を描いたり、でも大抵は、猫だの犬だの、鳥だの、そういうもので、特になかでも、魚の絵を描くのが好きなようだった。
まっすぐな、目の覚めるような青。
季節は夏で、それは高く遠い空の色にも似ていた。白いワイシャツが青のなかにぽつんと浮かんで、後ろから彼を見るたび、雲のように霞んだ存在に思えて心が浮ついた。
今日も、暑い日差しから逃れるように、だんだん狭くなっていく日陰のなかに彼はいる。
蓮の葉、泳ぐ魚、青。
「何見てるんだよ」
「絵、と、きみ」
少し埃っぽい美術室には、俺と彼の二人しかいない。
「面白いのかよ」
「おもしろいよ。きみは魚が好きなの？」
「...別に」
彼はこっちを見ない。
絵の具を筆でかき混ぜる音。
開け放した窓から時折風が吹き込んで、クリーム色のカーテンを大きく揺らす。
教室の端と端に俺たちはいて、彼が居るところだけ、コマ送りの映像みたいに綺麗だ。
「飛ぶんだ」
少しずつ、小さく筆を動かしながら、彼が言う。
「飛ぶんだ...魚は。海ん中を」
濡れたように艶やかな黒髪が、少し風に揺れる。彼の筆が、魚の鱗の一枚一枚に命を吹き込んでいく。
「大人はわかってくれない」
動きは緩慢で、まるで海の中にいるように。
「大人は、わかってくれない」
俺がいるよ、その言葉は、魚の吐息のように音にはならず、彼の背中は相変わらず雲のようで、俺はまるで魚になった気分で彼を見ていた、ずっと。
息をする魚