山のふもとに大きな家がある。
その家の主はお偉いさんで、どこぞの城に仕えている侍らしい。
武道の素養があるとかで、そこの息子も幼いながらに腕がたつという噂だ。
(弁丸とか、いったっけ)
忍の里の子、猿飛佐助は、高い松の梢の上にしゃがみこんで、下を眺めながら大人たちの話していたことを思い出す。
どうして突然そんなことを思い出したかといえば、その弁丸とかいう武家の少年が、佐助の真下で槍の稽古に精を出しているからだ。




弁丸は、真上から葉の合間をぬって見つめる佐助になど一切気付かず、やあっ、たあっ、などと威勢のいい掛け声とともに槍を振るっている。
もともと佐助は、座学を嫌ってこっそりと抜け出し、お気に入りのこの場所で昼寝をしていた。
細い梢の上でも、里の同年代の中でも随一の腕前を誇る佐助であるから、のんびりくつろぐことだって簡単だ。
そうして、暖かな太陽の光や、揺れる葉のかさかさと擦れる音や、春の伸びやかな草のにおい、流れる雲と空の青さを楽しみながらうとうとしていたら、人の近寄らないはずのこの小高い丘の一本松に、彼がやってきた。
身軽な服装に、弁当と水筒。それに、よく使い込まれた、自分の背丈の倍ほどもあろうかという大きな槍を持っている。
正直邪魔だなあ、早くどこかへ行かないかなあと思って見ていたら、佐助でも感心するほどの見事な槍捌きで、なかなかに面白い。
夢中になって見ていると、弁丸の足がすこしもつれて、丁度佐助から見えない位置によろめいてしまった。
その動きを追うようにして身体を伸ばし見てみると、案の定、一体なにをどうやったらそうなるのか、という形で盛大にすっ転んだ弁丸が、槍を投げ出しのびていた。
あーあ、佐助は苦笑交じりにため息をついて、まあでも自分がどうこうすることでもあるまい、と思い、気付かれてないのをいいことに昼寝を再開しようとした。
しかし、よくよくみれば弁丸は樹の根に頭をぶつけたようで、少し呻くだけで目を覚ます気配もない。
一度それに気付いてしまうと、どうにもそわそわしてもう昼寝どころではなくなってしまって、持ち前の気性なのか世話を焼いてしまった。


すとんと音もなく樹から飛び降り、弁丸の傍にしゃがみこんで、傷の具合をみてやる。
後頭部を強く打ったらしく、大きなたんこぶができていた。
仕方がないので、持っていた手ぬぐいを弁丸の水筒の水で濡らし、こぶにあてがってやると、すこし呻いて彼がうっすらと目を開けた。
「よお、お目覚めかい、お侍さん」
汗で額に張り付いた前髪をはらってやり、片手で彼の頭を支えたままにやあと笑って言うと、驚いたように目を見開いて口をぱくぱくさせるので、佐助はそれがおかしくてくすくす笑ってしまった。
「お、...そ、そなたは、」
「おまえ、って言いたいんだろ。いいよ別に、無理しなくても」
「...おまえは、誰だ?」
起き上がり、佐助の手の上に己の手を重ね、手当てをされていたのだと気が付いて弁丸は更に慌てた。
「か、かたじけない」
「いいってば、別に」
「そ、そうか...それで、お、おまえは」
「俺はねェ、」
忍は自分の正体を明かしてはいけない。そんなことは当たり前で、佐助は表情には出さずとも少し焦った。
俺は一体なんなんだろう。忍でない自分など考えたこともなかった。
里は閉鎖的で、時折こうして抜け出す意外に外を知る術はほとんどなく、それだって人里にはあまりおりられない。
「俺は...狐だよォ」
また、にやあと笑って言う。
人を化かす狐。そうだ、この槍捌きの上手い子、つまんでやろう、そんなことを考える。
こんなことを思ったのは、自分を狐だなんて言ったのは、この間の座学で山に住む狐の話を聞いたからだ。
忍でなければ人ではないのだ。人に似た獣、いたずら好きの化け狐。
「狐...狐?」
「そ、狐だよ。山があんまりつまんなかったから、人を見におりてきたんだよ」
「人を見に?わざわざ?」
「そうだよ。山なんかつまんないのさ。少しばかりの仲間と、あとはまるっと木ばっかり」
佐助はそう言って、軽くたんと地面を蹴って一本松の梢に乗った。
「おお!すごいな!」
「狐だからねェ」
くすくす、高みから見下ろして笑う。
弁丸はまっすぐな瞳を輝かせて、佐助を眩しそうに見ていた。
それがなんだかくすぐったくて、でも素直に狐だということを信じる彼に何故かイライラとした気持ちも抱いて、佐助はその妙な気分なまましばらく梢の上で彼と語らった。
いつも何をしてすごしているのか、どんな場所に住んでいるのか。
好きな食べ物のことなど話したときには、弁丸は甘味について熱く語ってくれた。
思えば、里ではこんな風に他愛もない話をすることなどあまりなかった。
優秀な忍の卵として佐助は大人たちと修行をすることも多かったし、同年代ときゃいきゃいはしゃいで子供っぽくするのはなんだか悪いことのように思っていたのだ。
ふとそれに気付いて、どうして今はこんなにも不思議な気持ちのまま、この少年と話をしているんだろうと考える。
自分より年は少しばかり下で、子供っぽい。
それでも嫌ではないのは、彼の瞳の奥に固く折れない芯が一本、通っているように見えるからだ。
「弁丸はさァ、大人になったら武士になるの?」
「ああ!俺は大きくなって、父上のような立派な武士になる!」
「ふうん」
「それで、お館様のお役に立つんだ!」
もうすっかり元気になった弁丸は、名乗ってもいないのに名を呼ばれたことにも気付かず、満面の笑みを浮かべた。
ふうん、佐助はもう一度そういって、それからまた松の上と下とで色々な話をした。
弁丸は終始笑ったり怒ったり、佐助はそれをあしらあったり、時には心から、珍しいことに、本当に心から笑ったりした。




「さて、日が暮れてきたよ、夜の山は怖いよ、あやかしがでるよ」
西の山に太陽が半分隠れたあたりで、佐助が腰掛けていた松の梢から飛び降り言う。
「暗くならないうちにお帰り、そうじゃないと道を惑わしてしまうからねェ」
「う、うむ」
弁丸は少し戸惑った後、荷物をまとめて背負うと、丘を降って家路に着いた。
そうして、途中まで降りたところで、思いついたように振り向いて大声を張り上げた。
「俺はいつか立派な武士になる!きっとお館様のお役に立つ武士に!」
佐助は松の木の下、不思議な思いでそれを聞いていた。
「そうして戦場に出ることになったら、おまえをきっと俺の影にするぞ!」
それだけ言うと、弁丸は転がるように丘を降っていった。
一人残された佐助は、おまえをきっと俺の影に、というその言葉を聞いて、なんだあいつはただの馬鹿じゃあなかったんだ、とにやと笑った。
「俺様を使える男になるには、まだまだケツが青すぎるってね」
人に似た獣、いたずら好きの化け狐を手中に収めんとする若い侍の背を見送って、佐助は彼の里へと軽快に跳んだ。
里を抜け出したことをこってりとしぼられている間も、心がそわそわ落ち着かなくて、いつか、いつの日にか、あいつと戦場を駆けるのも悪くないなと、戦忍という自分の未来を思い描いたりもした。









若き日、侍と狐の話


ほんとはもっと続く予定でしたが断念
気が向いたら続き書きます
その時は多分これも書き直す...はず