バレンタインなんて死んじまえ。毎年そう思う。死んじまえ。消えちまえ。チョコなんて溶けちまえ。
今年もひとつだってチョコはもらえなかった。
いや、義理はもらったけど(部活の後輩が「これ義理です」って言ってチロルチョコくれた)、バレンタインのロマンスみたいなのはなかった。毎年のことだ。
登校、下駄箱の中にはくたびれた上履きしか入っていなかった。
昼、机の中にはくしゃくしゃになった「自宅学習日のお知らせ」のプリントしか入っていなかった。
下校、下駄箱の中には履き潰した埃まみれのローファーしか入っていなかった。
わかってたけどさ。
わかってても淡い期待抱いちゃうのが健全な高校生ってものなんだ。




「よー!杉山今帰り?」
「でたな妖怪チョコ男。嫉妬の炎で溶かしてくれるわ」
「なにーチョコ食べたいの?あげよっか?あげよっか?」
「ウゼー!」
下校中、一人になったところを狙って「あの...こ、これ、よかったら...!」とか言ってチョコくれる可愛い女子いねーかなとか思ってたら、モテ男・岡本が後ろからタックルをかましてきた。
俺が求めてるのは甘ったるいにおいのする男ではなく、女だ。帰れ!
「いや、今帰ってるし」
ですよねー。
「方向一緒だしさ、いいじゃん別に」
「なんか...なんか嫌なんだよ。特に今日は」
「ひでー。傷つく」
杉山くんがいじめるぅ、とか言ってしなを作ってみせる岡本は男から見ても確かに見目はいい。
しかし中身はおちゃらけていて、それでも決して軽いやつというわけではなくて、義理堅くて面倒見がよくて、よく気が付く優しい男だ。
あれ?つまり完璧に近い生き物だった。うぜー。




「岡本さー、チョコ何個もらったよ」
「知らね。どうでもいいもん」
「うわ、でたよー」
「ほんとだよ。好きでもない子からのチョコなんかどうでもいい」
岡本は少しまじめな声で言った。
真昼間から言うねぇと俺は思った。だって、こんなの、岡本のことが好きでチョコをあげた女子が聞いたら、絶対キレる。
「ほんとに好きな子からもらいたい。けど、一度ももらえたことねーんだよな」
「岡本好きなやついんのか」
「いるよ。もう3年間も片思いしてる」
「まじでか!」
意外だった。
岡本に好きな子がいることも意外だったし、それが片思いだってことも意外だったし、何より3年間もずっと待ち続けるほど好きなのか!と失礼だがかなり驚いてしまった。
「どんな子だよ?かわいい?それとも美人系?」
「あー...かわいい、かな」
「芸能人なら誰に似てるよ?」
「似てる人はいねーなあ」
俺は好奇心に誘われるまま次々に岡本から情報を聞き出そうとした。
これだけの男を3年間も夢中にさせる子ってのは一体どれだけ魅力的なんだろうと、すごく興味をひかれた。
「なんかさ、トクベツなのな。その子だけ」
「へー」
「光って見えんの。触りたくなんの。こっち見てほしいんだよな」
「惚れこんでるなー」
「ゾッコンってやつだよ。喋ってるだけで俺、幸せになっちゃうんだよ」
「ふーん...で、誰よ」
「杉山」
は?
「おんなじ苗字か」
「いや、杉山」
はい?
「同じ学年に、他に杉山っていたっけ?」
「いや、だから、杉山」
なにやら不穏な空気だ。
確か一つ下の学年に杉山って子がいたと思ったけど、その子じゃないのか?
「えー、と...杉山、なに?」
「杉山 駿」
「...えーと?」
「スギヤマ シュン」
「それ、俺だけど」
「うん、だから杉山」




俺は猛ダッシュした。一瞬の出来事だったので、岡本は呆気にとられて硬直していた。
にっこり笑って「杉山が好きだ」という目の前の男に危機感を感じたのだ。
3年間片思いをしていると言った。
俺が岡本と出会ったのは高校2年の時、同じクラスになったのがきっかけだったはずだ。
そして1年がたち、今は約2年目といったところのはずだ。ブランクの1年間が更に俺の恐怖を煽った。
えー岡本ってそういう趣味の人だったの?いやまあたしかに彼女がいるってうわさは聞いたことなかったけど、だからって彼氏作ろうとしなくてもいいじゃん!ていうか俺じゃなくてもいいじゃん!
そもそも何、俺そういう目で見られてたのかよ。何回か岡本ん家泊まりにいったけどひょっとして相当危なかったのか?俺、童貞にして処女消失の危機だった?あぶねー!こえー!




そんなことを考えながら走っていたのが悪かったのか、単に俺の脚が遅かったのか(多分後者だが、前者だと思いたい、男のプライドにかけて)、後ろから追いかけてきた岡本の声が聞こえてきた。
「すーぎやまー!!」
「ヒイィ!」
「すきだー!」
「俺は女が好きだー!!」
「俺も女の子は好きだけどー!女の子よりも杉山が好きだー!!」
「ヒ、ヒィィィ!!」
こえぇぇぇ!段々と近づいてくる声に俺は内心どころか全身でがくがくぶるぶるしていた。
「すぎ、やまっ」
とうとう、ガッと襟首をつかまれて、俺は身体が先行して首がしまり、ぐえっとつぶれた蛙のような声をあげて尻餅をついてしまう。
「おおおお岡本おちつけ岡本、おちつけ、まず落ち着け」
「いや、おまえが落ち着けよ」
「おれはおちついている!」
多分俺はそのとき酷い顔をしていたのだろう、岡本はぷっと吹き出すと、腹を抱えて笑い出した。
俺はわけがわからずに、先ほど受けた衝撃と恐怖と相俟って、ただぽかんとそれを見ているしかない。
やがてやっと笑いの波が引いたのか、岡本は少し涙目のまま、尻餅をついている俺に目線を合わせるよう、屈んでそっと囁いた。
「俺は杉山のそういうとこが好きだ」
そして、少し、身を乗り出す。
「すきだよ」
耳たぶに唇が触れて、そのあまりの熱さにぞっと背筋があわだつのがわかった。
けれどそれは、恐怖や嫌悪感というよりも、どちらかといえば快感に近いものであると自分でもわかった。わかってしまった。
すっと身を引いた岡本は、顔に血が上り真っ赤になった俺にいつものように笑いかけて、「やっとチョコ、もらえた」と言って、帰って行ってしまった。




残された俺はしばらくその場に座り込んだまま呆然としていた。
岡本の気持ちと、自分の気持ちについて考えていたのかもしれない。よくわからない。
ただひとつ、確実なのは、俺が後輩にもらった義理のチロルチョコが、ポケットの中から消えていることだけだった。



(溶けちまえ)



うつむく。頬が熱い。熱い。



(溶けちまえ、チョコなんか)














07/02/14
ハッピーバレンタイン!
Sputnik 東鳩