煙草とアイマスク
しまった―――
初夏の頃、昼下がりの屯所の一角で、いつものように昼寝をしようと歩いていた沖田は、
口の中でもごもごと悪態をつきながら足を止めた。
向かう先である、予備の布団やらなにやらが置いてある部屋まではあと50メートルあるかないかで、
ここにくるまでに誰にも見つかっていないことから考えても、今日は随分と調子がいい。
いつもなら、部屋に向かう途中で誰かに見咎められ、その場で止められるか告げ口されるかするのだ。
このまま歩き続けて、部屋に入って戸を閉めれば、あの部屋を訪ねるものなど他にはいない。
それはつまり、沖田の昼寝を邪魔するものは何もなくなる、ということなのだが、
今の彼には一つ問題があった。
愛用のアイマスクを置いてきてしまったのだ。
先程までいたのは執務室である。
恐らくそこにあるのだろうが、取りに戻れば確実に見つかることは容易に想像がついた。
今の時間ならば、多分、山崎あたりが書類の整理をしているだろう。
あの男はミントンばっかりしていて無駄に腕力があるから、
捕まえられたらひっぺがすのに手間がかかるだろうな、
とぼんやりと考えてから、沖田は顔をしかめた。
うららかな陽気の元、書類の整理なんかしてはいられない。
ここは潔く諦めて、部屋についてから代わりのものでも探そう。
とろんとした目を瞬かせながら、沖田はまただるだると歩き始めた。
ああ、だからこの部屋、いつでも煙草くさかったんだなあ、と沖田は思う。
どうして今まで気付かなかったのか、この匂いはとても嗅ぎ慣れたものだったはずなのに。
戸を開けた瞬間から漂ってくる苦い香りが鼻腔を刺激し、
不快なような、ちょっと安心するような、不思議な気持ちになった。
わずかに視界をちらついている紫煙を辿ってゆくと、
開け放たれた窓のすぐ脇に、ざんばらの黒髪が散らばっている。
(土方さん…)
畳んで置いてある布団の角に頭を乗せ、だらりと弛緩した腕が腹の上に置かれていて、
指先に煙草こそ握られていないものの、傍に置いてある灰皿を見れば
彼が寝煙草をしていたのは明白であった。
危ないなあ、火傷とか火事とか、怖くないんだろうか、とぼんやりと考えていた沖田は、
前髪の間に小さく震えるまつげを見て、ふ と息を吐いた。
息を殺し、僅かにうるさくなり始めた自分の胸にイラつきながら、ゆっくりと傍らに座り込む。
彼はぐっすりと眠り込んでいた。
いつもは目線だけで人を殺しそうなきつい吊り目も、
今はやんわりと閉じられていてどこか幼げな印象を受ける。
すらりと真っ直ぐに通った鼻筋、ほっそりとした頬のラインを視線でなぞり、あるところでそれはとまった。
少し荒れた薄い唇。僅かに開かれたそこから、沖田は目を放せなくなる。
さっきっからうるさかった胸が更にやかましくなり、
まるで乱痴気騒ぎでもしているかのように凶暴に肋骨を打った。
可愛いのとは違う。綺麗というのも間違ってはいないが、どうにもしっくりこない。
この人の事説明するんなら、新しい言葉をつくらなけりゃあな、と考えて、
でも多分そんなめんどうな事自分はしないだろうな、と沖田は溜め息をついた。
昼寝をするために来たはずなのに、どうでもいいことばかり考えてしまい、急に脱力感に襲われる。
土方と同じように、布団に頭を乗せようとして、沖田は口だけで、あ と呟いた。
(いいもの見つけた)
沖田は布団に頭を乗せるのをやめて、
重ねておいてあった座布団を二つ折りにして土方の腰のあたりに置いた。
そこに頭を乗せ、土方の方へすりより、その腹の上に置かれた腕を掴んで自分の方へ引き寄せる。
いつもより暖かい掌で視界を覆う。
骨ばったごつごつした手に自分のそれを重ねてみると、漏れる光もなく、心地よかった。
深く息を吸い込んでみると、指先から煙草の匂いが香る。
沖田はにっこりと満足そうに笑うと、上のほうから僅かに聞こえたくぐもった声も気にせず、
まもなくすやすやと穏やかな寝息を立て始めた。
おまけ