01
里見祥子は努力をしない女だった。
理想もなく、それゆえに妥協もなく、ただ人生の波というものに身を任せるだけの生活を17年間送ってきた。
特別に顔がいいわけでもなく、性格はむしろ悪いほうである。
それだから恋というものを経験したこともなかった。
成績も努力をしないために底辺のあたりをふらふら彷徨い、年齢を重ねるごとにデフォルトの位置は下へ下へと移動している。
祥子には夢がなかった。
自分の将来を考えないわけでもなかったが、おそらくは普通の会社の普通のOLになり、ありふれた上司のお茶汲みをやらされ、休日には友人とカラオケでストレスを発散させたりするのだろうと、ぼんやり思っていた。
目標がなければやる気など起きない。祥子は無気力で、部活も習い事もバイトもせず、家と学校を往復する毎日を繰り返していた。
学期はじめのテストで赤点を取ったのは、祥子のクラスでは彼女ともう一人、友人である美紀だけだった。
赤点を取れば無論、補習を受けねばならない。
学生の楽しい長期休暇である夏休みのうち、1週間がまるまる学校での勉強に費やされる。
もともと勉強ができない、やりたくない者たちが赤点を取るのだから、彼らの苦痛たるや並大抵のものではなかった。
祥子も補習など当然受けたくはなかったが、やらなければならないのなら仕方ない、というよりもむしろ反抗するのも面倒で、渋々ながら補習には参加した。
蒸し暑い、風のない真夏の昼間、祥子は数人がまばらに散らばっている教室のなかからぼんやりと外を見ていた。
補習の5日目、勉強地獄から開放される希望がかすかに見えてきたこの日、友人である美紀の姿は見えず、教卓でだるそうに弁を取る教師の目を盗んで携帯を見ると、「ごめんね、あっくんとデートなの☆」と目に痛い絵文字がきらきら光ったメールが届いていた。つまり美紀は補習をサボったのだった。
彼女のサボリは今日に限ったことではなく、2日目、3日目も彼女は授業に現れず、やっと出てきたかと思えば彼氏の「あっくん」といちゃいちゃメールをやりとりするばかりである。
祥子はそんな美紀を横目で見ながら、たとえ自分に彼氏ができたとしても決してああはなるまい、と心に誓った。
「(とはいえ…)」
こんなところで、何もしていないのに汗だくになりながら補習を受ける性悪女に、一体どんな彼氏ができるというのか。
美紀はいい、彼女は可愛いから。でも自分はどうだろう。
祥子はふと考える。
美紀はきっとお嫁さんになるんだ。
頭が空っぽで、教養なくっても、顔が可愛いしぽやぽやしてて愛らしい性格だから、きっとお金持ちの息子とかと結婚するんだ。
それで一生お金に不自由しなくって、家事とかも全然しなくって、高級ブランドのバッグとか超買いまくって、毛皮きてダイヤの指輪ガンガンはめてペルシャ猫とか膝に乗せて「オホホホホ!」って笑うんだ。
祥子は苦虫を噛み潰したような顔になった。
なんとなくだけど、その様子が頭の中に浮かんでしまったのだ。
左団扇の顔だけ女王め。
本人が聞いても、「左団扇ってなぁに?」と言われて終わるであろう嫌味を心の中で呟きながら、祥子はぼんやりと昼休みのチャイムが鳴るのを聞いた。
今日の弁当もどうせツナサンドなのだ。しかもパンがパサパサに乾いたやつ。
憂鬱だった。
窓から差し込む日差しはじりじりと肌を焼くし、黒板に連なる意味不明の数列は理解できる気がしない。
遠くの方から、野球部の掛け声が聞こえてくる。
このくそ暑い中馬鹿みたいに走り回って、ボールを追いかけて泥だらけになるなんて、頭の悪いやつらだと祥子は常々思っていた。
どんなに頑張る彼らを見ても、無駄な努力としか思えなかった。
「じゃあ、午前の授業はここまで。午後からは98ページの問3からはじめるから、休み時間でしっかり予習をしておくように」
頭の禿た教師がそう言い、教科書をぱたんと閉じる。
教室全体からため息がこぼれた。飯食おう、飯、といそいそと机をくっつけあう音が聞こえる。
祥子の憂鬱は止まらない。この補習のクラスには、祥子の友達はいない。
みんなが楽しく笑いあいながら食事をする中で、自分一人がぽつんと乾いたツナサンドを食べるのなんか、絶対にごめんだった。