03















祥子は夢を見ていた。

真夏の空のような青、砕けた骨が砂になり、丘を作り、星を覆う。

天高く飛ぶ鳥もなく、純白の太陽がただ肌を焼き、祥子は骨になる、音もなく。

白い。














「里見」

バンジージャンプで落っこちて、そのあとゴムで無理やりに引き戻されるみたいに、お腹の真ん中からぐんっと祥子は浮上した。

ぱっと目を開けると、寝る前と同じ波打ったトタン、そしてそこに開いた穴から青い光がちらちらと光っている。

「里見、生きてる?」

一歩離れたところに少年が立っている。祥子と同じクラスの近松大吾だ。

白いユニフォーム姿で、左手にはグローブをはめている。野球部。

「ボール当たった?大丈夫か?痛いとこ、あるか?」

夢の残滓を追うように、ゆらゆらとたゆたっていた祥子に矢継ぎ早に声をかける。

焦点の定まらない目を危ぶんでか、大吾は少し焦ったように祥子の肩に手をかけた。




コンクリートに冷たさを奪われた体でも、少し汗ばんでいる。 しっとりとしたワイシャツに大吾の手が触れ、祥子は頭がすっと冷えるのを感じた。




「大丈夫、」

身を捩り、逃げる。

「ボールあたって、ないし。痛くない」

「そっか」

大吾は安心したように祥子から一歩離れた。

距離を取りたいと思った彼女の心をわかってくれているような行動。日差しが強い。

「じゃあ、里見、こんなとこでなにしてたんだ?」

「補習、さぼって、」

「昼寝かあ。ここ涼しいもんな」

後ろめたさと、気恥ずかしさのせいで祥子は少し顔を伏せる。

だらしない女だと思われたに違いない。補習ひとつ、満足に受けることも出来ない。

いつも苦しいことがあると、逃げ出してしまいたくなる。逃げ出してしまおうと思う。

けれど、そうした後の周りの目が怖くて、それができない。

美樹のようにそもそも学校に来ないなんてこと、祥子にはできない。度胸がない。

不真面目なことはしない、なんて自分に言い訳をしているけど、結局はそれが出来ないだけのことに過ぎない。

そういう弱くて惨めな部分を見せたくなくて、祥子はあまり喋らなかった。

けれど大吾はまだ、祥子に興味を持っているようで、話すのをやめることも、どこかへ行くこともしない。














「なあ、それ弁当?」

大吾が、埃っぽい渡り廊下に転がっている包みに目を向けた。

「そうだけど」

「まだなんか残ってたりする?」

「...ツナサンド、ふた切れ」

にんまり大吾が笑う。

「食わないんだったら、食っていい?」

祥子は逡巡する、乾いたツナサンドだ。美味しくないのだ。

食べたらきっとがっかりするだろうな、この女乾いたツナサンド昼飯にしてるよ、とか思われるかも。

「だめ?」

手から外したグラブを弄びながら、隣に腰掛ける。ぺたん、と白いユニフォームがコンクリートに映える。

短い黒髪が帽子からはみ出て、くりくりした黒目が期待を膨らませる。

いたたまれなくなり、祥子はウン、と頷いた。

「それ、いいってことだよな。ヤッタ、いただきまーす」

何が嬉しいのか、にこにこしながら祥子の弁当箱を手に取った。

チラッと一瞥し、失礼します、などと言いながら包みを解く。

「ツナサンド。久しぶりだ」

いただきます、二度目の挨拶。一口で半分を食べてしまった。

「んまい」

「乾いてるよ」

「でも美味いよ」

それから大吾は黙ったまま、あっという間にふた切れのツナサンドを食べ終わった。














「ちかまつは、」

座っていても、大きいね。わたしと並ぶと、でこぼこだね。

「何しにここにきたの?」

「俺?ボールかっ飛ばしちゃったから、捜しにきた」

いけね、そろそろ戻んなきゃ。監督に怒られるかも。

大吾がすっと立ち上がる。少し土ぼこりが舞い上がって、それもすぐに真夏の湿気に地面に落ちていく。

日陰から出た大吾は眩しかった。白のユニフォームは光を反射して輝く。

暑い日差しに、あっという間に汗が滲んできて、大吾の前髪が額にはりついた。

「練習きつくないの?」

「きついよ。暑いし、埃っぽいし、すげぇしんどいよ」

大吾は笑った。白い歯。

「じゃあ、なんで戻るの」

「練習だから。俺、野球部だし」

「なんで?」

「なんで、って?」

祥子は喉が渇いていた。ツナサンドがまだそこにぎゅうぎゅうに詰まっているようだった。

口が勝手に喋るのを止められない。言ったら幻滅されるだろうとわかっているのに、喋ってしまう。

「なんでそんなに、頑張るの?」









ずっと前から、運動部に入るやつなんて馬鹿ばっかりだと思っていた。
運動部だけじゃなくて、部活なんかやるやつは頭が悪いと思い続けてきた。
苦しいことをわざわざ頑張る。将来、役に立つかもわからないことに、たくさんの時間をかける。
そんなことをするのは時間の無駄だ。
祥子は、努力することのできない自分に、ずっとそう言い聞かせてきた。









「野球が好きだから」

大吾の声は力強い。

「俺は野球が好きだから、しんどくっても頑張るよ」

まっすぐな黒い目が祥子を射抜く。

「野球やってると楽しい。仲間と頑張ってると、もっと強くなれるって思う」

はめなおしたグローブ、浅くかぶったままの帽子。

「甲子園行くんだ。絶対、行くんだ」

祥子は黙ったままだった。

「里見は何が楽しいんだよ」

聞かれても黙ったままだった。

お前は何なら頑張れるんだよ、そう責められている気がした。

わたしは頑張れないよ、頑張るのがきらいだから、頑張って楽しいことなんかひとつもないから。









大吾の足音が遠ざかっていく。ボールを持たずに。

祥子はその後、日が暮れるまでそこに座っていた。

心の中で、ずっと大吾に言い訳をしながら。

頑張りたいことがないから、頑張らないだけで、だから、わたしは、

大吾が探していたボールを、祥子は探さなかった。

ツナサンドのなくなった空っぽの弁当箱と、ペットボトルが妙に重たかった。









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